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2009.10.22
[イベントレポート]
自伝的な要素が反映された作品 コンペティション部門『NYスタテンアイランド物語』:10/21(水)Q&A

コンペティション部門『NYスタテンアイランド物語』のQ&A、記者会見が行われました。

ジェームズ・デモナコ監督の自伝的要素を強く反映したこの作品は、実際のスタテンアイランド島を舞台に撮影されました。

10/21(水):上映後Q&Aの模様
※以下のQ&Aには、映画の内容・結末に触れる要素が含まれます。



ジェームズ・デモナコ監督
「東京は初めてなのですが、この映画祭に参加できてとても光栄に思います。東京国際映画祭は評判が高く、特にニューヨークで良い評判があるので、参加することができて、とても光栄に思っています」

司会(矢田部プログラミング・ディレクター)
「監督は脚本も手がけられていまして、今回は3つのパートに分かれた作品となっていますが、いったいどうやって着想を得たのか、このような3部構成にしようと思われた経緯を教えてください」

ジェームズ・デモナコ監督
「あまりにもアイデアがありすぎて、1つに収められなかったというのが正直なところで、とりあえず3つのストーリーを使って1つにまとめるという方法を取りました。色々と言いたいことがあるというのは、私自身がスタテンアイランドの出身なので私の経験に基づいて言いたいことやアイデアがいっぱいあったということです」

観客の皆さんからのご質問にもお答えいただきました。

Q:
「それぞれのシークエンスに入る時にテーマソングのような音楽があって、それぞれとても各ストーリーに合っていて耳になじみやすく、興味深かったです。これは脚本を書いている時からイメージが既にあったのか、それとも撮影している内にあの曲に決まっていったのでしょうか?」

ジェームズ・デモナコ監督
「曲のアイデアはありました。脚本書いている段階でこういうジャンルの音楽にしようということは決めていたのですが、どの音楽にするかというのは、編集が終わった段階で決めました」

Q:
「ロケの部分は全て監督のご出身のスタテンアイランドで撮影されましたか?また興味深かったのが、ジャスパー(シーモア・カッセル)が“解体”する時に2つ目のボタンを取ることでした。その2つ目には何か意味があるのかお伺いしたいです」

ジェームズ・デモナコ監督
「全編スタテンアイランドで撮影したのですが、森のシーンだけはスタテンアイランドではないのです。というのもスタテンアイランドの政府が撮影していると森が破壊されてしまうのでは、という可能性をおそれて撮影許可が降りませんでした。
次にボタンの件ですが、自分がこのようなことをしなければいけなかった事にに対する懸念というものを表現していますが、2個目ということに意味はないですね。ただ、2個目って言ってくださったことは凄く嬉しいです。今までそこまで意識して見てくださったかたはいなかったので」

Q:
「生まれ故郷を撮影するというのは「映画を撮るならここで」とずっと決めていたのか、改めてロケハンをして新たな発見があったのかをお聞きしたいのですが…」

ジェームズ・デモナコ監督
「最初からスタテンアイランドで撮影したいと思っていました。そして本当に、(スタテンアイランドの)ありのままの姿を撮影したかったので全編ロケで撮ろうと思ったのですが、ただ、森のシーンだけはどうしても撮影許可が降りなかったので、そこだけは皮肉なことに撮影できませんでしたが、それ以外はずっと撮りたかったスタテンアイランドで撮影しました」

Q:
「キャストについて。それぞれのストーリーについてどのようにキャスティングをおこないましたか?」

ジェームズ・デモナコ監督
「イーサン(・ホーク)とは以前にも一緒に仕事をしたことがあるのですが、彼自身は凄く頭のいい人なのですが、負け犬の役をやらせると凄く上手なので彼にお願いしました。ヴィンセント(・ドフノリオ)については、彼だけイタリア系アメリカ人なのですが、彼はイタリア系アメリカ人としてのマフィアの役をやったことがないのでお願いしました。実は元々はレイ・リオッタにお願いしようかと思っていたのですが、彼は『グッドフェローズ』で既に(マフィアの役を)やってしまっていたので、そのパロディになってしまう懸念もありました。ヴィンセントの『フルメタル・ジャケット』での演技が凄く好きだったのでお願いすることにしました。そしてシーモアですが、彼はジョン・カサヴェテス監督の映画で大好きだったのですが、残念なことに今のアメリカの映画の中では少し忘れ去られた存在になっていたので、メインストリームに戻って欲しいと気持ちがありました。現在の若い映画ファンに知られてしないということが逆に良かったのは、“本当のデリ(総菜屋)にもああいうおじさんいるよね”という感じになったことです」


Q:
「映画の冒頭にマンハッタンの説明があって、映画の重要なシーンでもマンハッタンの映像が流れたりしていましたが、監督はマンハッタンに対してどういった思いがあるのでしょうか?また、この映画の中にマンハッタンが出てくることにどのような意味があったのかお聞きしたいです」

ジェームズ・デモナコ監督
「私自身はスタテンアイランドで育っていますが、映画の冒頭でも言いましたけれどスタテンアイランドというのは忘れ去られている、あまり意味がない存在という感じなのです。そういう感覚を、そこで育っていた私も常に感じていたのです。なので、スタテンアイランドの海辺から良く見えるマンハッタンのスカイラインを見ると、凄く圧倒的で、そびえ立っているように見えるので、マンハッタンに住むということは成功を表していると思っていました。ですので、これは私にとってすごく個人的なテーマでもあるのです。この映画のアイデアでもあるのですが、この登場人物の3人は自分が社会にとって存在意義が無いように考えています。そのため世の中で存在意義がある者になりたいと、もがいているのです。そして、毎回マンハッタンのスカイラインが出てくるときは、隠喩として使っているのですが、自分にあまり意味がない、存在意義が感じられないのでマンハッタンのような、より大きいものになりたいということを示しています」

Q:
「最後のシーンで、マフィアの人たちが公園の森を救った訳なのですが、これはもともと森自体を大切に思っているからということではなく、自分たちの名前を残したいから、マスコミに載りたいからということだったと思うのですが、どうしてこのようなアイデアが生まれたのでしょうか。誰かモデルがいたのですか?」

ジェームズ・デモナコ監督
「この映画の究極的なテーマとは“エゴ”だという風に思っています。ここに出てくる3人の男性達は、何が大切かということを見失ってしまっていて、一方、女性達のほうが何が大切なのかということをよくわかっているという構成になっていると思います。パルミ(ヴィンセント・ドノフリオ)の行動というのは、本当にエゴだけですし、森が大切なんて全然思っていません。彼は自分の名前を残したいだけなんですね。そして、サリー(イーサン・ホーク)にしても、子供とは言っていますが、それよりも自分が重要だという風に思いたいということが大きいのです。それに対してメアリーはそれよりも“愛”というものが大切だとか…この映画に出てくる女性はもっと大切なことがわかっていて、男性が道筋からすこし逸れてしまっている。ですが、特に誰ということではなく、男の人たちがエゴというものを代表していると思います」

Q:
「先ほどの質問で自分の体験を少し入れているとういうようなニュアンスのことを言いましたが、今のエゴのことも含め自身の体験が反映されている部分が具体的にあれば教えていただきたいのですが」

ジェームズ・デモナコ監督
「具体的な経験というよりはテーマ的な意味で自分の経験に基づいているということで、別に私は木に住んだことはないです。デリカで働いていたことあるのですが、自分に意味がないと感じているとか、小さいところに住んでいてマンハッタンのような大きいところに住みたいと思っているというのは、小さい村や町に生まれ育って、大都市に憧れている人に通じる普遍的な何かがあるのではないかと思っています」

Q:
「シーモア・カッセルさんの演技が素晴らしかったのですが、撮影中のエピソードなどがあればお聞かせください。あと、最後のシーンが手話での会話でしたが、その時はどのような内容の話がおこなわれたのでしょうか?」

ジェームズ・デモナコ監督
「シーモアは非常に興味深い男性です。彼はジョン・カサヴェテス監督の映画に出演していて70年代初期のインディペンテンド映画で活躍されていた方です。その当時の撮影方法はあまり照明を使わずいきなりカメラで撮る、という撮影だったそうです。今作でも、その当時に比べればずっと照明を多く使うので、“照明に時間がかかりすぎる”とずっと文句を言っていました。彼はシーンの間はずっと喋らない、台詞のない役なので、シーンとシーンの合間にずっと文句を言うのです。シーンの間に喋れないからその分喋っていたということもあるのかもしれませんが、それが撮影6週間の間ずっと続きました。あまりにもシーンの間がうるさいので…ちょっと、困りものでもありました(笑)。
そして、手話の会話の内容ですが、少年が、ジャスパー(シーモア・カッセル)に「何で公園に一人でいるの?家族はいないの?」と聞きました。そしてジャスパーは「ああ、家族はいないんだよ」といい、そしたら少年が「じゃあ、僕が友達になってあげるよ」というようなことを言っていました」

Q:
「踊るシーンが本当に素晴らしいのですが、これは監督の演出なのかシーモアさんのアドリブなのかお聞かせください」

ジェームズ・デモナコ監督
「あのシーンはもともと音を入れず、チャップリンのサイレント映画のようにしたかったのです。『独裁者』のように世界を支えているというようなイメージでダンスを取り入れました」

司会(矢田部プログラミング・ディレクター)
「『独裁者』で地球儀の風船をポンポンあげるという、そのイメージですね」

Q:
「冒頭のスタテンアイランドの紹介の際に、“キル KILLS”という言葉が含まれている地名や通りがあるという表現がありましたが実際にそういう意味を含んだものなのでしょうか?それとも単に作品とリンクさせたジョークとして受け止めてよいのでしょうか?」

ジェームズ・デモナコ監督
「実は私もずっと知らなかったことでした。小さい時からあの島で育ちましたが、“キル”が付いた地名が多いので、何でだろうと思っていました。実は私の妻もスタテンアイランドの出身で、“グレートキル”というところの出身なのですが…奇妙な名前ですよね。
そこで、映画を作るにあたってリサーチをしました。それでわかったのは、アメリカのニューヨーク辺りでは、“キル”というのは、オランダ語が起源の「小さな水たまり」という意味なのだそうです。だけど、本当の意味ではそうなのですが、スタテンアイランドにはマフィアが沢山住んでいますし、“キル”本来の意味の“殺す”ということが感じられればいいかなと思い、説明しました」



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