2009.10.22
[イベントレポート]
トークショーで明かされるユ・ヒョンモク監督の秘密! 韓国映画史上ベスト1『誤発弾』上映:10/18(日)
去る6月に亡くなったユ・ヒョンモク監督
アジアの秀作を紹介する「アジアの風」の中で、アジア映画史上の重要作を発掘するプログラムが「ディスカバー亜州電影~フィルム・アーカイヴの宝石」。18日には、去る6月に亡くなった韓国の国民的監督、ユ・ヒョンモクの代表作として、“韓国映画史上ベスト1”とも称される『誤発弾』が上映されました。同作は、朝鮮戦争直後の混迷の韓国を舞台に、ある男の周囲に起こる数々の不幸を描きながら、やり場のなかった当時の人々の苦悩を不条理とも言えるような描写で綴る圧倒的なドラマ。今なお強烈な印象を残すその迫力に、観客はぐいぐいと引き込まれていました。
上映後には、在日3世である『ライブテープ』の松江哲明監督と、ドキュメンタリー『2つの名前を持つ男 キャメラマン金学成・金井成一の足跡』で、故ユ・ヒョンモク監督と名コンビだったカメラマン金学成(キム・ハクソン)を採り上げた田中文人監督によるトークショーが行われ、ヒョンモク監督と『誤発弾』にまつわるエピソードが語られました。
田中監督によると「60年代当時の韓国映画はほとんどが粗末なスタジオセット内で撮影されていて、ジャンルもコメディかメロドラマが主流。内容もぬるぬるなんです。その中でリアルなロケ撮影の“誰も幸せにならない映画”が登場する(笑)」とのことで、「韓国には、東宝や東映のような製作から興行が一貫した大手映画会社がない」ため、『誤発弾』も「製作会社が倒産したためフィルムがすべて消失。サンフランシスコ映画祭用に送ったままアメリカでずっと眠っていたものが、戻ってきた」という経緯だったとか。松江監督も、「スタジオで撮った映画に対するアンチテーゼなのではないか? 外にカメラが出て行くことで、当時の空気感が入っていて、アメリカン・ニューシネマに近い空気を感じる」と、初見の際に驚きを隠せなかったことを明かしました。
ヒョンモク監督と交流のあった田中監督は、監督自身は「戦前のフランス映画や戦後のイタリアのネオレアリスモ映画がお好きだった」そう。「1945年以前には朝鮮半島では日本語で教育を受けているんです(ヒョンモク監督は25年生まれ)。60年代の韓国の映画人たちは、日本から輸入されたキネマ旬報に掲載されている脚本や技術レポートを、韓国語に翻訳して研究していたそうです。時を同じくして、日本でもキャメラが撮影所の外へと向かった松竹ヌーヴェルヴァーグやATG作品は観ていなくても、存在は知られていたみたいですね」と、本人から聞いたエピソードを披露しました。
ユ・ヒョンモクともに三羽烏と称された巨匠、キム・ギヨン監督の幻の戦映画『玄海灘は知っている』も、今後上映の予定(10/21、10/23)。韓国が誇る伝説的な巨匠監督の作品もぜひお見逃しなく。
松江哲明監督と田中文人監督
誤発弾→作品詳細
玄海灘は知っている→作品詳細
2つの名前を持つ男 キャメラマン金学成・金井成一の足跡
→作品詳細
ライブテープ→作品詳細