2009.10.23
[イベントレポート]
ヤスミン監督の思い出を語る アジアの風部門『タレンタイム』:10/21(水)トークショー
2009年7月25日に急逝したヤスミン監督を偲んで、10月21日(水)の『タレンタイム』上映終了後に、追悼イベントが行われました。
まずは、『タレンタイム』の音楽監督にして、ヤスミン監督の盟友でもある、マレーシアの人気ミュージシャン=ピート・テオさんのミニ・ライヴからイベントはスタート。
アコースティック・ギターを手に、彼が歌い上げたのは、ミディアム・スローの名曲"Blue"。「旅立つ人と、残された人」をテーマにしたこの歌は、まさにこのイベントの幕開けにふさわしい1曲といえるでしょう。
「ヤスミンは忙しい毎日を過ごしていた人で、じつは僕のライヴを観たことがないんです。今日のこの歌を、彼女がどこかで聴いていてくれたらいいんですが・・・」という、ピートさんの言葉が胸にしみます。
続いて第2部は、石坂健治プログラミング・ディレクター(以下、PD)の司会で、「ヤスミン監督ゆかりの人々」を集めてのトークイベント。
最初にお言葉をいただいたのは、監督の実妹=オーキッド・アフマドさん。このお名前からもわかるように、長編デビュー作『ラブン』にはじまる“オーキッド4部作”で、シャリファ・アマニさんやシャリファ・アリヤナさんが演じていた、あの魅力的なキャラクターのモデルとなったのが彼女なのです。
オーキッドさんは、まず、天国のヤスミン監督と、彼女たちのご両親、監督のご主人、石坂PD、そして映画祭関係者に感謝の言葉を述べられた後、監督の思い出を語りはじめました。
『ラブン』の撮影中にお父様が糖尿病を患い、『細い目』の準備中にはお母様が心臓を悪くされたものの、ヤスミン監督はご両親を看病しながら、見事な傑作を完成させたこと。
『タレンタイム』の完成後、ヤスミン監督は、日本でロケする半自伝的映画『忘れな草』と、もう1本、シンガポールで撮影する新作を準備中であったこと。
ヤスミン監督の毎夜の日課は、その日「彼女の気持ちを傷つけてしまった人」を“許す”ということだったそうですが、もし今日、ヤスミン監督の映画を観て傷ついてしまった人がいたとしたら「どうか彼女を許してやってほしい」ということ。
そしてオーキッドさんは「監督の名前は忘れていただいてもかまいません、でも姉が映画に込めた“想い”は、忘れないでいていただけると嬉しいです」と、涙ながらにおっしゃったのでした。
次にマイクをとられたのが、新作『心の魔』で映画祭に参加されているホー・ユーハン監督。ホー監督は「俳優として」ヤスミン映画の常連ですし、逆に彼の映画ではヤスミン監督が「素晴らしい女優ぶり」を発揮しています。
ホー監督とヤスミン監督の出会いは、ヤスミン映画の撮影監督であるロウ・スン・キョンさんの紹介でした。当時、ヤスミン監督は既にCM監督として名声を得ていたので、緊張しながら待ち合わせの場所へと赴いたホー監督だったのですが、じつはヤスミン監督は彼以上に緊張していたようで、お互いガチガチの初対面に。でも、ふたりとも「(いい意味での)クレイジーで、似たもの同士」であることに気づいた彼らは、あっという間に仲よくなっていったそうです。
しかしながら、お互い忙しい身のホー監督とヤスミン監督は、なかなか会うチャンスがありません。延べ日数でいうならば、直接会ったのは1ヶ月程度とのことなのですが、電話でのコミュニケーションは毎日欠かしませんでした。ホー監督いわく、電話での会話のほとんどは「友人同士のバカ話し」だったそうで、彼の毎月の電話代の半分は、ヤスミン監督との通話に費やされていたとのこと。
また、映画監督デビューのきっかけに関する話題では、どうしたら長編映画を撮れるのだろう・・・と悩んでいたホー監督とヤスミン監督が、共通の友人であるオスマン・アリ監督にクアラルンプールのペトロナス・ツインタワーで相談をしたところ、彼がテレビドラマ製作用の予算をまわしてくれて、ヤスミン監督は『ラブン』を、ホー監督は"Min"をつくることができたこと、そして"Min"にはヤスミン監督のご両親が出演されていることをお話しいただきました。
そして最後は、ピート・テオさん。
ピートさんとヤスミン監督が出会ったのは、彼がファースト・アルバム"Rustic Living For Urbanites"をリリースして間もない頃。このアルバムをいたく気に入ったヤスミン監督は、ピートさんのブログに感想を書き込んだところ、これがきっかけとなって、ピートさんが監督のオフィスを訪れることに。そこで『細い目』を鑑賞したピートさんは「過去20年で、僕が観た最高の映画だ!」と作品を絶賛。シャイなヤスミン監督は謙遜することしきりだったようですが、この日からふたりは友人となり、ピートさんは監督の第3作『グブラ』に楽曲を提供することになるのです。
ホー監督と同様に、ピートさんもまた、なかなかヤスミン監督とお会いする時間はなかったようですが、携帯電話のショートメッセージを使ってのコミュニケーションが続いていました。その“会話”の内容は、映画や音楽の話題はもちろんのこと、ヤスミン監督自作のポエムが届くこともあったそうです。
『タレンタイム』で使われる楽曲の中で、最も強い印象を残すのがムハマド・シャフィー・ナスウィプさんが(劇中で)歌う"I Go"。ピートさんが歌うこの曲のオリジナル版は、諸事情あって当初はマレーシアではリリースされていなかったのですが、ヤスミン監督の熱烈なアプローチのかいもあって『タレンタイム』のサントラに含まれることに。ヤスミン監督はピートさんに、この“旅立ち”の曲はどのように完成したのか? 誰に向けて捧げられたのか? と、色々とたずねてきたそうなのですが、「この曲は(なにかに突き動かされるように)ほんの5分間でつくりあげた」というピートさんは、その時はまだ明確なイメージをもっていなかったそうです。
「でも、(ヤスミン監督が旅立ってしまった)いまは、"I Go"が誰のためにつくられたのか、僕はわかっている。だから今日、僕は"I Go"を歌うことができなかったんだ」と、言葉をつまらせながら語るピートさんの姿に、会場中から暖かい眼差しが注がれていたのはいうまでもありません。
そして、あっという間の約30分間を締めたのは「幸いにも、日本にはヤスミン監督の長編映画すべてのプリントが保管されていますので、今後も彼女の作品が上映される機会は多いことでしょう」という、石坂PDからのうれしいコメントでした。
アジアの映画史にその名を刻む、ヤスミン・アフマド監督のきらめくような作品群が、世代を超えて愛され続けていくことを願ってやみません。
まずは、『タレンタイム』の音楽監督にして、ヤスミン監督の盟友でもある、マレーシアの人気ミュージシャン=ピート・テオさんのミニ・ライヴからイベントはスタート。
アコースティック・ギターを手に、彼が歌い上げたのは、ミディアム・スローの名曲"Blue"。「旅立つ人と、残された人」をテーマにしたこの歌は、まさにこのイベントの幕開けにふさわしい1曲といえるでしょう。
「ヤスミンは忙しい毎日を過ごしていた人で、じつは僕のライヴを観たことがないんです。今日のこの歌を、彼女がどこかで聴いていてくれたらいいんですが・・・」という、ピートさんの言葉が胸にしみます。
続いて第2部は、石坂健治プログラミング・ディレクター(以下、PD)の司会で、「ヤスミン監督ゆかりの人々」を集めてのトークイベント。
最初にお言葉をいただいたのは、監督の実妹=オーキッド・アフマドさん。このお名前からもわかるように、長編デビュー作『ラブン』にはじまる“オーキッド4部作”で、シャリファ・アマニさんやシャリファ・アリヤナさんが演じていた、あの魅力的なキャラクターのモデルとなったのが彼女なのです。
オーキッドさんは、まず、天国のヤスミン監督と、彼女たちのご両親、監督のご主人、石坂PD、そして映画祭関係者に感謝の言葉を述べられた後、監督の思い出を語りはじめました。
『ラブン』の撮影中にお父様が糖尿病を患い、『細い目』の準備中にはお母様が心臓を悪くされたものの、ヤスミン監督はご両親を看病しながら、見事な傑作を完成させたこと。
『タレンタイム』の完成後、ヤスミン監督は、日本でロケする半自伝的映画『忘れな草』と、もう1本、シンガポールで撮影する新作を準備中であったこと。
ヤスミン監督の毎夜の日課は、その日「彼女の気持ちを傷つけてしまった人」を“許す”ということだったそうですが、もし今日、ヤスミン監督の映画を観て傷ついてしまった人がいたとしたら「どうか彼女を許してやってほしい」ということ。
そしてオーキッドさんは「監督の名前は忘れていただいてもかまいません、でも姉が映画に込めた“想い”は、忘れないでいていただけると嬉しいです」と、涙ながらにおっしゃったのでした。
次にマイクをとられたのが、新作『心の魔』で映画祭に参加されているホー・ユーハン監督。ホー監督は「俳優として」ヤスミン映画の常連ですし、逆に彼の映画ではヤスミン監督が「素晴らしい女優ぶり」を発揮しています。
ホー監督とヤスミン監督の出会いは、ヤスミン映画の撮影監督であるロウ・スン・キョンさんの紹介でした。当時、ヤスミン監督は既にCM監督として名声を得ていたので、緊張しながら待ち合わせの場所へと赴いたホー監督だったのですが、じつはヤスミン監督は彼以上に緊張していたようで、お互いガチガチの初対面に。でも、ふたりとも「(いい意味での)クレイジーで、似たもの同士」であることに気づいた彼らは、あっという間に仲よくなっていったそうです。
しかしながら、お互い忙しい身のホー監督とヤスミン監督は、なかなか会うチャンスがありません。延べ日数でいうならば、直接会ったのは1ヶ月程度とのことなのですが、電話でのコミュニケーションは毎日欠かしませんでした。ホー監督いわく、電話での会話のほとんどは「友人同士のバカ話し」だったそうで、彼の毎月の電話代の半分は、ヤスミン監督との通話に費やされていたとのこと。
また、映画監督デビューのきっかけに関する話題では、どうしたら長編映画を撮れるのだろう・・・と悩んでいたホー監督とヤスミン監督が、共通の友人であるオスマン・アリ監督にクアラルンプールのペトロナス・ツインタワーで相談をしたところ、彼がテレビドラマ製作用の予算をまわしてくれて、ヤスミン監督は『ラブン』を、ホー監督は"Min"をつくることができたこと、そして"Min"にはヤスミン監督のご両親が出演されていることをお話しいただきました。
そして最後は、ピート・テオさん。
ピートさんとヤスミン監督が出会ったのは、彼がファースト・アルバム"Rustic Living For Urbanites"をリリースして間もない頃。このアルバムをいたく気に入ったヤスミン監督は、ピートさんのブログに感想を書き込んだところ、これがきっかけとなって、ピートさんが監督のオフィスを訪れることに。そこで『細い目』を鑑賞したピートさんは「過去20年で、僕が観た最高の映画だ!」と作品を絶賛。シャイなヤスミン監督は謙遜することしきりだったようですが、この日からふたりは友人となり、ピートさんは監督の第3作『グブラ』に楽曲を提供することになるのです。
ホー監督と同様に、ピートさんもまた、なかなかヤスミン監督とお会いする時間はなかったようですが、携帯電話のショートメッセージを使ってのコミュニケーションが続いていました。その“会話”の内容は、映画や音楽の話題はもちろんのこと、ヤスミン監督自作のポエムが届くこともあったそうです。
『タレンタイム』で使われる楽曲の中で、最も強い印象を残すのがムハマド・シャフィー・ナスウィプさんが(劇中で)歌う"I Go"。ピートさんが歌うこの曲のオリジナル版は、諸事情あって当初はマレーシアではリリースされていなかったのですが、ヤスミン監督の熱烈なアプローチのかいもあって『タレンタイム』のサントラに含まれることに。ヤスミン監督はピートさんに、この“旅立ち”の曲はどのように完成したのか? 誰に向けて捧げられたのか? と、色々とたずねてきたそうなのですが、「この曲は(なにかに突き動かされるように)ほんの5分間でつくりあげた」というピートさんは、その時はまだ明確なイメージをもっていなかったそうです。
「でも、(ヤスミン監督が旅立ってしまった)いまは、"I Go"が誰のためにつくられたのか、僕はわかっている。だから今日、僕は"I Go"を歌うことができなかったんだ」と、言葉をつまらせながら語るピートさんの姿に、会場中から暖かい眼差しが注がれていたのはいうまでもありません。
そして、あっという間の約30分間を締めたのは「幸いにも、日本にはヤスミン監督の長編映画すべてのプリントが保管されていますので、今後も彼女の作品が上映される機会は多いことでしょう」という、石坂PDからのうれしいコメントでした。
アジアの映画史にその名を刻む、ヤスミン・アフマド監督のきらめくような作品群が、世代を超えて愛され続けていくことを願ってやみません。