2009.10.18
[イベントレポート]
コンペティション部門『ボリビア南方の地区にて』:10/18(日)Q&A
日本人にとって、普段あまり馴染みのないボリビア映画。『ボリビア南方の地区にて』では、現在ボリビアにある、裕福な家族と忠実な使用人の間にある矛盾した関係が、斬新なカメラワークによって描かれます。
上映後のQ&Aに、フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督、出演のニノン・デル・カスティーヨさん、撮影監督のポール・デ・ルメンさん、美術を担当されたホアキン・サンチェスさん、プロデューサーのガブリエラ・マイレさんが登壇されました。
まずは、フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督からご挨拶。
「ご来場いただきありがとうございます。私たち自身このようなフェスティバルに参加するのは初めてです。地球の裏側にいらっしゃる皆さんにどのように受け止められたのかということに多いに関心を持って楽しみにしています。今日ここに来られたことを非常にうれしく思っています」
※以下のQ&Aには、映画の内容・結末に触れる要素が含まれます。
Q.この映画では、家が主人公のように見えました。あの素晴らしい舞台(家)はどのように見つけられたのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「その通りです。家そのものが、人物としての役割があるかの様ですね。ホアキン(美術)が、これら全てを整えてくれました。また、この家のディティールには、一つ一つのものが何かを表しています」
ニノン・デル・カスティーヨさん:「私はあの家に住んでいる方を知っていたので、よくあの家でパーティをしていました」
Q.初めてのボリビア映画でしたが、風景や音楽、先住民の服装などにとても魅せられました。私はボリビアの社会についてはそれほど詳しくありませんが、人種や階級での差別はたくさんあるのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「ボリビアには多様な文化があります。映画の中でもご覧いただいたたように、先住民の言葉も実際に話されています。そしてその社会が今、先住民も力を持つようになってきていて、変化しているのです。しかし、白人か黒人か、ということではなくて、あの一つの家の中で色々な文化が生きている。つまり、沢山の要素が共存しているんです。たとえば、劇中に出てくる家には小さな息子がいましたが、彼は先住民の召使いたちと一緒にいる時間が多く、そこで彼らの文化を学んでいる。あの家は『文化を織りなしている一つの布』のようなものとして、今のボリビアというものを表していると思います」
Q.結末では、聡明な母親が最終的に家を売却してしまうという結果に至りましたが、そのヒントとなることは何だったのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「家を売る、ということは全てを手放すことに等しい。ライフスタイルは家を中心に回っている。家とは階級のシンボル。しかし、映画に出てくる家庭の内情は、実際は召使いに給与が払えず、パンを買うお金もないという状態で、逆に召使いからお金を借りるなど、身の丈以上の生活をして、お金を費やしていました。そして最後、その売家を買うのは先住民ですが、そこに先住民という新しい階級が台頭し、権力と富を持ってきているという状況も表れています」
Q.では、新しい階級の人々はどうやって裕福になっていくのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「政治的な変化だと言ってもいいと思います。最近の選挙でも、先住民の方が選ばれて大統領になるということもありました。これまで私たちの国は、ものすごく古いライフスタイルで生活してきたのですが、それがようやく時代に追いついてきたんだと考えています。これまでは、不正義がおこなわれ、貧しい階層と裕福な階層で格差が広がっていましたが、今回の映画では、そういった特権を失う人たちを描いていることになるのではないかと思っています」
上映後のQ&Aに、フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督、出演のニノン・デル・カスティーヨさん、撮影監督のポール・デ・ルメンさん、美術を担当されたホアキン・サンチェスさん、プロデューサーのガブリエラ・マイレさんが登壇されました。
左からニノン・デル・カスティーヨさん、フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督、ポール・デ・ルメンさん、ホアキン・サンチェスさん、ガブリエラ・マイレさん
まずは、フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督からご挨拶。
「ご来場いただきありがとうございます。私たち自身このようなフェスティバルに参加するのは初めてです。地球の裏側にいらっしゃる皆さんにどのように受け止められたのかということに多いに関心を持って楽しみにしています。今日ここに来られたことを非常にうれしく思っています」
※以下のQ&Aには、映画の内容・結末に触れる要素が含まれます。
Q.この映画では、家が主人公のように見えました。あの素晴らしい舞台(家)はどのように見つけられたのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「その通りです。家そのものが、人物としての役割があるかの様ですね。ホアキン(美術)が、これら全てを整えてくれました。また、この家のディティールには、一つ一つのものが何かを表しています」
ニノン・デル・カスティーヨさん:「私はあの家に住んでいる方を知っていたので、よくあの家でパーティをしていました」
Q.初めてのボリビア映画でしたが、風景や音楽、先住民の服装などにとても魅せられました。私はボリビアの社会についてはそれほど詳しくありませんが、人種や階級での差別はたくさんあるのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「ボリビアには多様な文化があります。映画の中でもご覧いただいたたように、先住民の言葉も実際に話されています。そしてその社会が今、先住民も力を持つようになってきていて、変化しているのです。しかし、白人か黒人か、ということではなくて、あの一つの家の中で色々な文化が生きている。つまり、沢山の要素が共存しているんです。たとえば、劇中に出てくる家には小さな息子がいましたが、彼は先住民の召使いたちと一緒にいる時間が多く、そこで彼らの文化を学んでいる。あの家は『文化を織りなしている一つの布』のようなものとして、今のボリビアというものを表していると思います」
Q.結末では、聡明な母親が最終的に家を売却してしまうという結果に至りましたが、そのヒントとなることは何だったのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「家を売る、ということは全てを手放すことに等しい。ライフスタイルは家を中心に回っている。家とは階級のシンボル。しかし、映画に出てくる家庭の内情は、実際は召使いに給与が払えず、パンを買うお金もないという状態で、逆に召使いからお金を借りるなど、身の丈以上の生活をして、お金を費やしていました。そして最後、その売家を買うのは先住民ですが、そこに先住民という新しい階級が台頭し、権力と富を持ってきているという状況も表れています」
Q.では、新しい階級の人々はどうやって裕福になっていくのでしょうか?
フアン・カルロス・ヴァルディヴィア監督:「政治的な変化だと言ってもいいと思います。最近の選挙でも、先住民の方が選ばれて大統領になるということもありました。これまで私たちの国は、ものすごく古いライフスタイルで生活してきたのですが、それがようやく時代に追いついてきたんだと考えています。これまでは、不正義がおこなわれ、貧しい階層と裕福な階層で格差が広がっていましたが、今回の映画では、そういった特権を失う人たちを描いていることになるのではないかと思っています」