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2009.10.20
[イベントレポート]
コンペティション部門『ダーク・ハウス/暗い家』:10月19日(月)TIFF movie cafe 記者会見

コンペティション部門『ダーク・ハウス/暗い家』の記者会見が、10月19日(月)TIFF movie cafeにて行われました。

ヴォイテク・スマルゾフスキ監督、マリアン・ジエドジエルさん(俳優/ジャバス役)、フェリクス・パストゥシャクさん(アソシエイト・プロデューサー)の3名が登壇しました。

まずは、「東京国際映画祭に参加できて光栄です。日本の皆さんが私の作品をご覧になりどのように感じたのか気になります。」とヴォイテク・スマルゾフスキ監督。
「美しい国に来ることができてうれしいです。」と、非常に渋い印象的な声でジャバス役のマリアン・ジエドジエルさんがご挨拶、続いてアソシエイト・プロデューサーのフェリクス・パストゥシャクさんが「映画の祭典に参加できて、とてもうれしく思います。」と、ポーランドから日本に来た感想を述べました。
ダークハウス

今回の記者会見では、会場の記者の方から質問を受け付ける形式で進行、最初の質問は劇中(1978年と1982年のポーランドが舞台)で、ばらばらに交差する2つの年代についての質問。
スマルゾフスキ監督は「この作品の撮影を行ったのは、秋(1978年のシーン)と冬(1982年のシーン)です。秋には夜の場面を、冬には昼の場面を撮ったので、観客にはわかりやすいかなと思っていますよ。2つの季節、雪と雨、昼と夜、善と悪を衝突させているという狙いもあります。」との回答。

舞台となった1978年と82年のポーランドはどのような時代だったかについての質問には、
「1978年のポーランドは社会主義時代の末期で不条理なことだらけでした。お酒は午後1時からしか買えなかったり、車を買うにも特別な許可が必要でした。1982年は最悪の時代で、戒厳令も敷かれました。買うものすべてが配給制、配給だけど配給する物がないというさらに不条理な世界となり、希望が持てない時代でした。」と、スマルゾフスキ監督。
ダークハウス

1982年に生まれたという記者の方から、現在のポーランドについて訊かれると、
「正常というか普通になってきました。いい国になってきたと思います。人生は味見することができないから、他の国で生まれ育ったらどうだったかという比較はできませんが、ポーランドに生まれてよかったと思っています。」と、こちらもスマルゾフスキ監督。

作品の前半と後半で大きな変貌を見せるというジャバス役のマリアン・ジエドジエルさんに役作りについてご質問。
「役作りは長いプロセスでした。8年前に監督から脚本をもらい、色々と話をしました。私はどんな役でも良いところを見つけることを目標にしています。今回もジャバスという人間にどこまで弁解できるのかということに集中して演じました。質問にあったようなジャバスが迎えることになる結果には、たまたま彼が置かれた状況が、彼にあのような行動を取らせてしまったのだと思います。信じること、愛すること、希望を持つことが人生においてとても重要です。監督は82年のポーランドでは希望が持てないとおっしゃいましたが、ジャバスも希望は持っていたと思います。しかし、彼の生きていた状況・時代が影響し、彼にとって恐ろしい夜を迎えることになってしまったのだと思っています。」と、監督同様非常に興味深いお話しをジエドジエルさんも披露してくれましたが、ここで記者会見は終了。

スマルゾフスキ監督、ジエドジエルさん、パストゥシャクさんは、フォトセッションの後、作品上映の後に行われるQ&Aへと向かいました。
ダークハウス

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